買い物のはじまり

 私は幼い頃から褒められた経験がなく、自己評価が低い子供だった。高校は裏口入学したこともあってか、いつも罪悪感とコンプレックスで押しつぶされそうだった。

 そんな私を救ってくれたのは、高校入学時に父から贈られた高級ブランドの時計だった。その時計は入浴時以外肌身離さずにいた。何故ならその高級時計だけが、私を何者かにしてくれる唯一のアイテムだったから・・・

 初めてクレジットカードを使い、ブランド物のバッグを買った時、私は「魔法のカード」を手に入れたと思った。それ以来1個、2個とブランド物を買い始めると止まらなくなった。高価な物を身に付けて外に出ると、自信がない自分が何者かになったような気がした。

依存症の進行

 そこからは、坂道を転がるように買い物に走った。貯金を使い果たし、数枚のカードの限度額がいっぱいになると、子どもの貯金や学資保険を解約し、買ったものを売りお金を作った。

 数年で数百万の借金ができ、払えなくなると母親に肩代わりをしてもらった。その時に母に言った「もう二度と借金はしません」その言葉は本気だった。

 しかし、1ヶ月後にはまたカードで買い物を始めていた。月々5千円なら大丈夫、この前のようにはならないはず。そんな狂った考えで始まった2度目の破産はそれから4年後に訪れた。

 貴金属・バッグ・靴・傘・服・・・どれも外に出るときに必要な物ばかり。自己評価の低い私が普通の人を通り越し、何者かになるには武装しなければならなかった。武装するための借金は、1度目の母親の肩代わりの金額の約2倍になっていた。

診断と狂気の暴走

 どうしようもなくなって駆け込んだ病院で、医師に「あなたは買い物依存です」と言われた。その一言で妙に救われた気持ちになった。病気なのだと・・・。

 医師の勧めで任意整理を行い、7年間の返済計画を立てた返済の日々が始まった。何も買えない数年間。このまま「買い物」は治るのかと思っていた矢先に父が亡くなった。思いがけぬ金額の遺産が私の口座に振り込まれた。

 辛かった。とにかく苦しかった。父が命をかけて働いて作った財産を使ってはいけない。わかっていながら「少しだけなら構わない」という狂気が毎日私を襲ってくる

 そして最初の一杯ならぬ、最初の1万を引き出したところから、3度目の破産に向かって私は走り出した。誰も私を止める事はできず、自分でコントロールするなど全くできなかった。遺産は使い果たし、加速度のついた私は、家を担保に借金をし、さらにローン会社への借金は数百万に膨れ上がった。

底つき体験

 私が旅行中に息子が急病になり、命にかかわるかもしれないと連絡を受けた。しかし私は東京まで帰るチケットを買うお金がなかった。週末の夜だったこともあって、妹からの振り込みも断られ、持っていたバッグを売りに行こうとしたが、お店はすでに閉店していた。

 交番にお金を貸してくれるように頼んだが断られ、見知らぬ人に土下座をしてお金を借りることさえ考えた。地方都市の駅で私は底つきを味わった。数千万を買い物や浪費で使ってきた私が、たった14000円がどうにもならず底をついた。

 その後、友人から借りたお金で当日中に家に帰る事ができ、幸いなことに息子の容体は安定したが、兄弟からは尋常ではない叱責を受けた。彼らは言った「今後お金の支援は打ち切る予定だ。あなたが依存症であることを息子たちに話す」

 私は息子たちに依存症である事を知られるのが怖かった。ダメな母親だと思われるのが何よりの恐怖だった。私は「息子たちに言ったら死んでやる」と彼らに言い放った。

奇跡の夜と回復の始まり

 私は兄弟たちを恨み、精神的にも追い詰められていた。そんな日の夜、絶望のどん底にいた私に、白く明るい何かが上からストンと私の中へ入ってきた。

 その瞬間何が起きたのかはわからなかったが、私は無性に母や兄弟に「謝らなくては!」という考えに変わっていた。私は翌日、家族に埋め合わせに行った。今思えばあれが「ホワイトフラッシュ」というものだったのだろう。

 その後、私は回復のプログラムを本気で始める決心がついた。3か月間プログラムを学ばせてくれる施設に通い、ステップを一生懸命学んだ。なぜなら命がかかっている。やっと恐ろしい病気だということがわかった。

 ステップ1で私は、買い物や借金に対してアレルギーのような反応が出てしまうという説明がしっくりきた。ステップ2で「神」という言葉は受け入れられなかったが「ハイヤーパワー」というものなら信じてみる気持ちになった。

 ステップ3で決心をし、ステップ4・5で自分の大掃除をし性格の欠点を見つけた。ステップ6・7で性格の欠点を手放せるよう祈り、手放せるように毎日精一杯の努力をした。

埋め合わせ

 ステップ8・9の埋め合わせに取り組んだ。まず親兄弟・親戚に埋め合わせをした。皆が言ってくれるのは「顔つきが穏やかになった」という言葉だった。自分自身では気づかない変化を指摘してもらうことで、自分が変化しているのだということを実感できた。

 難関は息子たちへの埋め合わせだった。ステップを始めた当初は、息子たちに埋め合わせは出来ても、私が依存症であることは言いたくないと思っていた。しかし、ステップを進めていくうちに全てをカミングアウトしなければ、本当の埋め合わせにはならないであろうことに気づいた。

 怖かった。とても怖かった。13年間息子たちを騙していたこと、借金の総額、ダメな母親だと思われてしまうのではないかという恐れ、親子関係が大元から壊れてしまうのではないかという恐れ

 しかし、私にできることは、ハイヤーパワーに全てを委ねることだけだった。そして多くの仲間に勇気と力をもらい、息子たちに埋め合わせをすることができた。ありがたいことに息子たちは私の病を受け入れてくれた。

 「今までの不可解なことが納得できた」「僕たちに話すのはとても勇気がいっただろうが、話してくれてありがとう」「今は母さんの回復に向けて全ての時間を使って欲しい」・・・ありがたかった。嬉しかった。そしてとても楽になれた

これからの私と使命

 当時、東京のDAグループでスポンサーができる仲間はいなかった。ステップを使って回復を目指す仲間を増やすこと、それこそがハイヤーパワーから私に与えられた使命なのではと感じた。その後、アメリカDAのツール集の翻訳が仲間のお陰もあって完成し、プレッシャー・リリーフ・ミーティングの大切さを知ることができた。

 プレッシャー・リリーフ・ミーティングを通じて、自分の金銭管理がいかにルーズだったのか、収支に正面から向き合うことを恐れていたのかを思い知らされた。見直すべき点をたくさん見つけることができた。

 プレッシャー・リリーフ・ミーティングから4カ月経った頃には、息子の学費も予定通り支払い、貯金から壊れた冷蔵庫を買い替えることもできるようになっていた。

 滞納分の税金の支払い、季節に応じた被服の購入、借金返済に至るまで、赤字を出さずに毎月生活できるようになっていた。「こんなにお金に困らずに生活したことがあっただろうか!」毎日お金のやりくりのことを考える度に、憂鬱な気分になっていたのが嘘のようだった。

最後に

 現在はハイヤーパワーとの関係を深めながら、ステップ12であるメッセージを運ぶことを毎日の行いとしている。そして私が生かされている意味に、今は何か確信めいたものさえ感じている。

 きっと私がハイヤーパワーから与えられた使命は、今まだ苦しんでいる買い物・借金依存症者に手を差し伸べることであると。ブランドもので武装をして何者かになりたかった私は、今は何者でもない1人の買い物・借金依存症者として、仲間と共に生きてゆくことに大変満足している。